美容師(メイクアップ)

西洋の時代別メイク特徴〜近世編〜

韓国では美容師はメイクアップ・ヘア(一般)・ネイル・エステに分けられていて、関連する仕事をするときはこれらの資格が必須になるようです。美容師の勉強には興味があり、少しずつ勉強していきました。メイクアップ美容師の筆記試験にある西洋メイクの歴史を細かく分けてまとめていきます!今回は西洋のメイクアップ歴史の近世時代における女優のメイク特徴についてまとめました。
 
 
 

西洋メイクの歴史:時代別女優メイクの特徴

メイクアップ美容師の筆記試験にある西洋メイクの歴史は範囲も広い為、女優のメイク特徴と西洋メイクアップ歴史に分けてまとめられていました。この二つを細かく分けてまとめていきたいと思います♪
今回は近世時代におけるメイク特徴についてまとめました。
 
 
 

近世時代

西洋の近世時代は、16世紀のルネサンス、17世紀のバロック、18世紀のロココ、そして19世紀に分けられています。。
 
 
 

ルネサンス時代


ルネサンス時代は14世紀から16世紀まで続いき、15世紀が最も盛んだったヨーロッパの文化です。
その頃は過度な装飾と化粧が行われました。
この時代は映画でも見たエリサベス1世が病的な白いメイクが印象的でした。
 

ヘアメイク

真っ白な肌を表現し、ほっぺと口元は軽く色付けていました。
広いおでこに綺麗なラインが良いとされていて、眉毛やヘアラインも剃り上げて描いていたそうです。
 
中世時代のキリスト教の教えが基なった社会観が支配的になっていて、文化が発展せずに停滞した暗黒時代がありました。
それを抜けるためにルネサンスが始まりましたがキリスト教による支配は大きくて、女性は罪深い存在とされいてメイクも質素に白く地味にしていました。
 
メイクは表情を出さないように、鉛を溶かしたものを肌に厚く塗って白くして、額を剃り上げて「病的に見せること」で美しさを表しました。
 
エリサベス1世のメイクでは動脈の線を書き足したり、目の下を赤く塗ったり、クマを作って、室内いるという位の高さや病弱を演出していました。
また、女王という立場としては仮面のような厚いメイクが表情を隠すことで立ち向かう時には武器のような印象がしました。
 
 

美容方法

ルネサンス期では魔女狩りもあり、魔術などの能力が信じられた時代です。
良いか悪いかではなくて神秘的なものが体いに良いと極端に信じられていた時代でもありました。
 
 
 

バロック時代


16世紀末から17世紀初頭にかけてイタリアのローマ・マントヴァ・ヴェネツィア・フィレンツェで誕生して、ヨーロッパ大部分へと急速に広まった美術・文化の様式をバロックといいます。
この頃はふくよかで熟練された女性像が美の基準でした。
 
 

ヘアメイク

濃くてはっきりとした眉毛やアイメイクが特徴でした。
 
Patch(パッチ)と呼ばれた愛嬌ぼくろというものがが流行りました。
今でいう付けほくろが流行っていて、どこにつけるかが一種のファッションだった時代です。
ヘアスタイルは額から高く上げて大きいクシをさしたり、リボンで少しずつ結んで宝石が差し込まれた綺麗なピンやお花などで飾ったりしていたそうです。
 
女性だけではなく、男性も過度な化粧をしていた時代だと言われています。
 
 

Patch(パッチ)について
 
材料
黒い琥珀織りのケンプ(タフタ)やかわを使っていました。
 
模様
星や月の模様がよく使われていたようです。
 
また、貼る位置によって意味が違いました。

 
 

ロココ時代


ロココはバロックの次に続く時代で、18世紀のルイ15世フランス宮廷から始まってヨーロッパの他国にも伝えられ流行したと言われています。
 
この頃は華麗で貴族的な趣味を基礎としていました。
 
 
 

ヘアメイク

この時代は華やかでヘアスタイルが装飾的で誇張されたものが印象的でした。
メイクは白粉を塗り、頬と唇には紅を塗っていて、リップメイクはバラの蕾のような唇を表現していました。また、水銀が含まれた化粧品を制限なく使用されていました。
ロココ時代でもPatch(パッチ)が流行していました。
 
 
 

19世紀


マリーアントワネットもオーストリアからルイ16世の王妃として嫁いだ時代で、華やかで裕福な暮らしを描いた映画が印象的でした。
オーストリアではハンガリー皇帝の皇后で絶世の美女と呼ばれ、愛称のシシィとしても知られているエリザベートも有名です。
 
 
 

ヘアメイク

これまで鉛をすりつぶして溶かしたものをメイクで使うのが主流でしたが、オーストリアの習慣を愛したマリー・アントワネットは青白さではなく自然な透明感のあるメイクを施しました。
この時代のメイクは自然な肌を表現してアイラインは長く書いていました。
リップは情熱的な色を使用されていました。
衛星と清潔概念により石鹸を使うことが普及されるようになりました。
1866年には鉛白の代わりに無害の亜鉛華(強化亜鉛)が発見されました。
 
髪やカツラにポマードをつけて、さらに白くするために小麦粉を1日に2回たっぷりかけていました。
そのため、小麦粉が値上がりするほど流行しました。
 
 

美容方法

また特徴的だったのはとにかくウエストの細さにこだわったことです。
助骨を2本折ってコルセットで締め上げて、食事制限もありました。マリーアントワネットは朝はケーキ、昼は魚など、夜は軽いスープのみに抑えてバスト90 ウエスト49 ヒップ90の男性が片手で持てるウエストを維持したと言われています。
 
 
 
エリザベートは朝から夜までダイエットしている人で、朝起きたら体操して、早足で歩き、鉄棒や吊り輪を自室に置いていたと言われています。
古代エジプトでも実践していた冷水浴をするなどをして美意識が高かったそうです。
自慢の髪を手に入れにブランデー(コニャック)や卵を混ぜた美髪シャンプーもして、熱いオリーブ油に浸かりオリーブ油風呂もしていました。通常は牛乳の搾りかすと蜂蜜、オレンジを入れてお風呂に入っていました。
仔牛の生肉を薄く切ったものをパックとして使用していたのも当時のヨーロッパでは流行しました。